HURT






 分かっていたはずだった。
どれだけ自分が、馬鹿げた感情を抱いているかを。
―――全てが終われば、自分の在るべき世界へと帰ってしまう彼に。
どれだけ願っても、どれだけ望んでも……、叶いはしない願い。

 こんな感情無ければいいのに。
こんな感情さえなければ、こんなに苦しまなくて済むのに。
だったら、…この感情を殺してしまえばいい。
……わかっている。殺せないから…、苦しいんじゃないか。



 疲れていた。体も、精神も。
知らない世界で続く激闘。右も左も分からない文明。
今まで、自分が存在していた世界とは、まるで違う世界。

 そこが…、戦いが終われば、彼が帰る世界。
…自分を、置き去りにして。

 宿の、自分に与えられた部屋のドアを開け中へと入る。
今日やるべきことを、全て終えたネルは、消耗した体力を回復させるために、
他の皆よりも、少し早めにベッドへと入ろうとしていた。

 疲れからか、今までの世界での寝床に落ち着けなかったからなのか、自分が
生活していた世界の寝床が心地よくて、ベッドへ入るなりすぐに眠りに落ちた。
 ほんのささやかな時間だけ、どうにもならない現実から逃避していく。


 夢に落ちて、どれくらいの時間が経ったころだろう。
部屋のドアが開く小さな音で、眠りから覚める。
 いつもなら、その音に警戒を強めるが、今日は酷く疲れていたせいか、意識が
虚ろいたままだった。
 けど、誰かが入ってきた気配は感じる。

 突然。

 何者かによって、両腕を掴まれ、ベッドへと押さえつけられる。

「何を!!」

 朦朧とする意識で、声を出して、腕を押さえつけるその力に抵抗する。しかし、
その力は予想よりも遥かに強く、逃れることは出来なかった。
 足をバタつかせてみても、相手は自分の下腹部の上に馬乗りをしているらしく、
その抵抗も無意味に終わる。

「離せっ!!」

 どれだけもがいてみせても、やはり無意味に終わる。
相手の顔を暗闇の中で確認することは出来ない。
けど、やがて覚め行く意識の中で、それが誰なのかが分かる。
 左手首を押さえつける人肌の有機質な感触と、右手首を押さえつける金属の冷
たい無機質な感触。

「アルベル!!…あんた一体何を!!?」

 一瞬。…朧な月が空から顔を出し、アルベルの顔を照らす。
ネルの瞳に映った、アルベルの紅い瞳。血走って、全開に見開かれたその瞳に表
れる”狂気”。
 その瞳が、ネルの全身を”恐怖”で支配させる。

「…お前が……嫌いだ…。」

 地を這うような、低く、怒りのようなものが混じったような声がアルベルの口
から発せられ、ネルの耳に入り込む。

「言わなくても、わかってるさ!!」

 かつての敵だった自分に対して、まだ心の中に留まる恨みの類から出てきた言
葉だとネルは思った。 
 しかし、その言葉にその意味合いは全く無く、もっと単純なものだということ
をまだネルは知らなかった…。

 殺される…。
ネルがそう感じた、その刹那。アルベルが言った。



「……犯してやる。」


 低く暗い声が、部屋に響いた。
”犯してやる”。その言葉の意味を、ネルは理解していた。
全身を支配している恐怖の意味が変化する。
 幾度も自分の生命の危機に迫る場面を体験してきたが、今、このような状況に
ネルは未知なる恐怖を覚える。

 アルベルの、ネルの腕を押さえつける押さえつける手の力が更に強くなる。
もはや、ネルにアルベルを力で跳ね返す術は無い。

”何故…、犯される?”
アルベルのとった行動の意味が、ネルにはよく分からない。
自分が嫌いだから、犯して屈辱を与えようとしているのか。
違うはずだ。ネルの知る限りのアルベルの性格では、嫌いな相手なら殺してしま
うか、目もくれないはず。こんな回りくどいやり方は、絶対にしない。

「何故…、あんたがこんなことを…?」

 反抗心に満ちたネルの瞳が、狂気に満ちたアルベルの瞳を直視する。
体中を支配する恐怖を振り払って、声に出して問う。
その言葉が、アルベルの耳に入り、アルベルの口から答えが返る。

「…お前が、アイツのモノになる前に…、俺が力ずくででも、お前を俺のモノに
してやる。」

 頭の中が空白になるのを感じる。
色々な思いが、白になった頭の中を駆け巡る。

”アイツ”とは、クリフのことを指しているのか?
もし、そうなら何故、自分のその想いを知っている?
そして、この男は…、信じられないことだが…、自分がクリフに対して抱いてい
る感情と、同じものを自分に…。

「アイツを見ているお前が嫌いだ。…だから、無理矢理にでも俺の方を向かせて
やる!!」

 アルベルの瞳から、”正気”というものは、完全に消え去っていた。




つづく

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ちょこっと長くなりそうなので続きます。今回はこの辺で…
しばらくお待ちください。